【ケネディ銀貨と陰謀論】1964年ハーフダラーに隠された通貨発行改革と暗殺の背景

04現代

ケネディ暗殺の真相について、様々な憶測や噂があるのは有名な話。せっかくなので、コインから深掘り!

ケネディ銀貨とは?|1964年ハーフダラーの特徴

暗殺翌年が最多発行 初期デザインのケネディ銀貨は1964-70年の期間で発行。暗殺の1年後のことです。そして発行枚数が最も多いのが、今回入荷の1964年発行のもの。

暗殺翌年の最多発行|1964年とその後の銀含有率の変化

死後に銀含有率が変化? 通常、コインは発行前年に準備されるので、このコインの造幣時期=1963年。暗殺事件は11月。 つまり自らの運命を知らないケネディが”肝いり”で大量に作っていたのが、この銀貨ということに…含有率を見てみると 1964年発行=銀90% 1965-70年発行(事件後)=銀40%

ケネディが目指した通貨発行改革と大統領令11110号

ケネディによる命懸けの改革 《政府紙幣発行》を目指したケネディ。1963 年6月、大統領令第 11110 号で2$と5$の紙幣を発行。この元となるのが、準備金として政府所有されたら銀・40億$分。 つまりケネディは《民間のFRBではなく政府による通貨発行》を目指した…ということ。その理由は…?↓↓

FRBと政府の通貨発行権争いの裏側

FRB 通常の紙幣発行では、造幣元の中央銀行FRB(民間運営)に利息や負債を払って発行される。イコール、政府発行にすれば、莫大な貨幣発行益をFRBに払う必要がなくなる。 つまりケネディの戦略は、FRBの株主ら(金融資本家)の影響力を減らす…というものだったということ。 しかし……

1963.11、ケネディ死亡。 その後に”しれっと”行われたのは…? ①政府紙幣の回収と処分 ②銀90%のハーフダラーの質は、半分以下の銀40%に


政府がFRB(≒ロスチャイルドら国際銀行家)に挑んで、惜しくも敗北した証拠


……ってストーリーが、この1964年 first issuesの銀貨にあるのです

「陰謀論」という言葉の起源とケネディ事件

「陰謀論」という言葉もこのときに ちなみに

歴史研究家によれば《 #陰謀論》という言葉も、事件を巡るウォーレン委員会報告の際に”疑惑を持つ人へのレッテル貼り”としてCIAが作った単語、といのが通説!


信じるか信じないかはあなた次第いずれにせよ恐るべし 通貨発行権ビジネス

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この記事のポイント3つ

  1. 1964年発行のケネディ銀貨は、暗殺直前の通貨発行改革の象徴的存在
  2. 銀含有率の変化は、ケネディ死亡後の政策転換を示唆
  3. 陰謀論の起源や通貨発行権を巡る闘いが1枚のコインから見えてくる

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