【1661年ミュンスター・ターラー】宗教都市のプロパガンダ銀貨|三十年戦争後のカトリック要塞都市

03近代

この1枚に凝縮されたメッセージとは?

1661年ミュンスター・ターラーとは?|発行の背景と特徴

当時の神聖ローマ帝国のプロパガンダ事情が分かる《都市景観ターラー》

カトリックvsプロテスタントの三十年戦争(1618-48)の後に発行 ↑ 『我々は最強カトリック都市』という喧伝&洗脳ツールとして発行

カトリック要塞都市ミュンスターと三十年戦争の影響

8世紀、ザクセン人を改宗するために作られたオーセンティックな布教拠点=宗教都市ミュンスター。 16世紀に宗教改革が始まったことで、神聖ローマ帝国の各領地は、各々傭兵を雇い潰し合いの時代(三十年戦争)となる 各地でプロテスタントが勢いを増す中、ミュンスターはカトリックの要塞に。

そんな中で発行されたターラー

プロパガンダ貨幣としての役割|権威と洗脳の象徴

同時代の他都市とは異色の《司教による権威とプロパガンダ》の貨幣と分かる
↓ 両面に描かれたモチーフにより 『神と聖人が見守る我がミュンスター』 が示されてます ↑ けどその実態は ”超・監視管理社会”でもあったという

「宗教+世俗パワー合体型の象徴都市」 実は《懲罰&密告が横行》する、ガッチガチのコントロール都市。 「ミサをサボると罰金」「夜間外出は罰金」「婚姻前の同棲は鞭打ち&罰金」などなど ↑ しかも市民が、高額インセンティブのために密告しあう

宗教的秩序 見ているよ

の暗喩としての銀貨かも…

司教フォン・ガーレンの統治とミュンスターの特異性

【ミュンスターが特異だった理由▶︎戦う司教フォン・ガーレン】 圧倒的頑強さで領地の独立性を死守

① 聖職者なのに「戦争の達人」として自前の軍を持つ
②当時欧州最強のルイ14世相手にガチ喧嘩
③ 周辺のプロテスタントへも圧をかける
④戦後のミュンスターを農業改革・都市再建で大復活

というわけで、激ヤバ洗脳支配都市・ミュンスターと【宗教プロパガンダのターラー銀貨】のお話でした

次回は、同時代にその対極にあった 【秘密結社によるターラー銀貨】を 画像比較でご紹介する予定

同じような都市景観、だけど…? 間違い探し&解読をお楽しみに!

この記事のポイント3つ

  1. 1661年ミュンスター・ターラーはカトリック支配を誇示するプロパガンダ貨幣
  2. 司教フォン・ガーレンの強権統治と宗教都市の監視社会を象徴
  3. 三十年戦争後の神聖ローマ帝国におけるカトリック対プロテスタントの緊張を反映

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