
【はじめに】
ローマ帝国の貨幣には、在位中の皇帝の肖像が描かれる。皇帝は名目上、市民の代表者という設定であるため、それを象徴する市民冠を戴く姿で描かれる。ただ、必ずしも市民冠を戴くわけではなく、そこには実は規則性があり、明確な意図を持って描き分けられている。今回は貨幣に描かれた皇帝の冠に隠された秘密を紹介していく。
【ユリウス=クラウディウス朝時代】

アウグストゥスが皇帝になってから間もない時期に発行されたデナリウス銀貨。無冠で描かれている。ローマは君主の登場を極端に嫌うため、当初は貨幣に肖像を描くだけでもタブーだった。そうした背景から民衆に配慮し、在位初期のアウグストゥスの貨幣は無冠で描かれた。


アウグストゥスの晩年に発行されたデナリウス銀貨。市民冠を戴く姿で描かれている。在位からしばらくすると、市民冠を戴くようになる。皇帝は市民の代表者という設定なので市民冠を戴く。
【フラウィウス朝時代】

市民冠を戴くウェスパシアヌスの肖像を描いたデナリウス銀貨。ウェスパシアヌスはアフリカ属州総督を務めた軍人上がりの皇帝。

市民冠を戴くティトゥスの肖像をデナリウス銀貨。ウェスパシアヌスの長男で、即位前は有能な将軍の一人。ユダヤ戦争で活躍し、エルサレムのイスラエル神殿を破壊した。円形闘技場コロッセウムが彼の治世に完成。ウェスウィウス火山の噴火に見舞われ、救助と復興に務めた。在位から僅か2年で急死。


市民冠を戴くドミティアヌスの肖像を描いたデナリウス銀貨。ウェスパシアヌスの次男。ティトゥスの急死により即位。猜疑心が強く、暗殺を恐れて周囲の人間を次々に処刑したが、最期は姪ユリア・ドミティアの側近ステファヌスに刺殺された。
【ネルウァ=アントニヌス朝(五賢帝)時代】

トラヤヌスの治世に発行されたデナリウス銀貨。市民冠を戴く姿で描かれている。アウグストゥス以降は市民冠を戴く姿がスタンダードなデザインになる。


トラヤヌスの治世に発行されたアス貨。皇帝は植物の葉の形状をした市民冠を戴く。アスはローマで使用された小額面の銅貨で、日常の買い物や大浴場の入場などに使用された。

ネルウァの治世に発行されたデュポンディウス黄銅貨。皇帝が太陽の放射光を表した棘のような太陽冠を被る姿で描かれている。デュポンディウスは、アスの倍の額面を持つ貨幣。この太陽冠は2倍の意味を持つ。


セステルティウス黄銅貨は市民冠。セステルティウスは2.5アスに相当する。セステルティウスは明らかに巨大で重量もあるので、アスとは区別がすぐにつくため、デフォルトの市民冠でデザインされた。


副帝ケイオニウスの肖像。副帝は無冠で描かれている。ハドリアヌスの後継者で次期皇帝はずだったが、即位前に病死。
【セウェルス朝時代】

セプティミウス・セウェルスのデナリウス銀貨。市民冠を戴いている。セウェルスはアフリカ出身初の皇帝。息子カラカラとゲタがいる。


カラカラの治世に発行されたアントニニアヌス貨。ダブルデナリウスの愛称でも知られ、デナリウス銀貨の2倍の額面を持つ貨幣。前述したデュポンディウス貨はアスの倍の額面を持ち、皇帝肖像が光線状の冠を戴く表現を採っている。この規則性は後の貨幣にも見られ、カラカラの治世から発行が開始されたアントニニアヌス貨にも共通している。


カラカラの弟ゲタの副帝時代の肖像を描いたデナリウス銀貨。無冠で描かれている。副帝とは次に正式な皇帝になる人物に与えられ称号。


カラカラの妻プラウティラ。皇妃も無冠。冠は皇帝の象徴であることが分かる。
【軍人皇帝時代】

ゴルディアヌス3世の肖像を描いたアウレウス金貨。金貨でも同様に皇帝は市民冠を戴く姿で描かれた。ゴルディアヌス3世は軍事皇帝時代の皇帝。


ディオクレティアヌスの肖像を描いたアルゲンテウス銀貨。市民冠を戴いている。ディオクレティアヌスは軍事上がりの叩き上げ皇帝で、テトラルキアを敷いた人物として知られる。
【コンスタンティヌス朝時代】

宝石冠を戴くコンスタンティウス2世の肖像。宝石冠はコンスタンティヌス1世の時代から皇帝の肖像に見受けられるようになる。宝石冠は宝石や真珠を飾ったディアデマ(鉢巻状の冠)。コンスタンティウス2世はコンスタンティヌス1世の息子で、キリスト教徒の皇帝。


宝石冠を戴くユリアヌス2世の肖像。ユリアヌスは時流に逆らい、キリスト教ではなく、古代ローマの伝統宗教を重んじたが、その政策は失敗。最期はペルシア戦争で命を落とした。また、ビザンツ帝国の時代に入ると、宝石冠に十字架が加えられた形に変容していく。
【フランス第一帝政時代】
ローマの貨幣は後の支配者たちが発行する貨幣にも多大な影響を与えた。特にナポレオン1世がローマの貨幣の大いに影響を受けた。


ナポレオン1世の肖像が描かれら5リレ銀貨。ミラノ鋳。無冠のナポレオンが描かれている。


フランス帝国の皇帝ナポレオン1世の5フラン銀貨。ローマ帝国の皇帝の肖像を参考にデザインされている。彼は学生時代からローマ帝国に強い憧れを抱いていた。ローマの貨幣は後世の支配者らが発行する貨幣に大きな影響を与えた。


ナポレオンが参考にしたと思われる初代ローマ帝国アウグストゥスのデナリウス銀貨。ギリシア神話の美男神アポロンの雰囲気に寄せて描かれている。ナポレオンもアウグストゥスも若き日の肖像を描かせ続けた。皇帝が若く強いイメージを民衆に刷り込むためだった。
【結び】
ローマ皇帝はあくまでも市民の代表という設定なので、基本は市民冠を戴くが、デュポンディウスやアントニニアヌスなど、アスやデナリウスと直径がほぼ同じ見分けが難しい貨幣は一目で分かるよう、太陽冠を描く規則性を持たせることで当時の人間は判別していた。もちろん重量を計れば判別は可能だが、秤を持ち歩くわけにもいかないので、こうした工夫が施されていた。古代ローマに生きた人々の知恵のひとつである。
*掲載写真は全て筆者撮影
講演者紹介|ShelK
アンティークコインを通して、古代ギリシア・ローマ・オリエント世界の歴史や文化を読み解く著者。
著書『アンティークコインマニアックス コインで辿る古代オリエント史』では、コインに刻まれた肖像や神話、文字、象徴から、数千年前の歴史を紹介している。
今回の講演では、アンティークコインを「歴史を伝えるメディア」として見る面白さをわかりやすく解説する。

